母が起こした奇跡?-在宅介護実録 沈んだ太陽 第二回
介護・福祉
記事公開日:2016/05/02、 最終更新日:2019/01/04
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休学するなら学費を払え。
こんにちは、ミチルです。今回は、祖母の入院から特養入居までのいきさつをお話します。
正月に倒れた祖母は、地元の総合病院からK市の老人病院へ転院することになりました。「迷惑ばっかだ」と愚痴るだけの母や元々ひきこもりで年齢相応の社会性がない姉にかわり、病院間の患者搬送車の手配やらなにやら私がやることに…。
そして3月になり、大学を辞めました。
母親に責任を糾弾されたこともありますが、現実問題として続けられなくなったのです。卒業まであと1年でしたが、バタバタしてるうちに後期試験を受け損ね、留年が確定。
大学側の配慮もあり4年生には進級できるが、卒業は1年遅れるという条件でした。生活が落ち着くまで休学しようと事務局で相談したところ「休学は認めるが、学籍を継続するには1年分の学費を全納」との回答。
いつ復学できるかのメドも立たないのに、学費だけ払い続けるなんて母子家庭の我が家では無理でした。私もバイト代は家賃や生活費に消えていたので貯金がありません。
何もかもがバカバカしくなって休学届のかわりに退学届を書き殴り、ポストに入れました。
病院の見舞いを1日でも休むと…。
それでも横浜から埼玉の実家に引き上げた時は、さすがに泣けてきました。それまで自分が積み上げてきたものがすべて崩れ去ってしまったのですから。
ただ、泣いてばかりもいられません。
当時、老人病院では患者の食事介助や身の回りの世話は“付き添い”が行っていました。付き添い婦さんを雇うお金がなければ、家族が行くわけです。ですが、K市の病院まで行くには車しかないのですが、母も姉も免許がないため、私が行くほか選択肢がありませんでした。
なにしろ、見舞いを1日でも休むと病院から注意の電話がかかってくるのです。
当時はヤングケアラーなんて気の利いた言葉は存在しなかったので、ハタチそこそこの小娘が、大学を辞めてまで“おばあちゃんの世話”のため、病院に日参する姿は非常に奇異に映るようでした。なによりつらかったのは、いろいろ誤解され、理解をしてくれる人がいなかったことです。
また、痴呆症患者は1年以上同じ病院に入院することができなかったため、半年を過ぎる頃から次の病院を探し回ったのですが見つからず、結局半年ほど在宅介護となりました。
特養へ入所できた理由。
そんなある日、思いもよらないことが起きました。
役所の福祉課から呼び出しがあったのです。祖母が老人ホームへ入れるかもしれないという話でした。介護保険制度がなかった当時は、介護施設への入居は担当した役人の“さじ加減”ひとつで決まりました。
とにかく書類を揃えて面接に向かうと、担当者は眉間にシワを寄せて言い放ちました。
「今ね、問題になってるんですよ、アナタのお宅。なんでタケさんの実子である○○(母)が来ないんですか。それで、孫のアナタが全部やってんの?」
どうやら、以前から福祉課では我が家のことが「何かヘン」と疑問視しているということがわかってきました。母のことをどう説明したらと迷っていると、いきなり「セイハクですか?」と聞かれたのです。
セイハク…?
初めて聞くその言葉に戸惑っていると、「セイハクでしょ? セイハク」と担当者はイライラしたようにペン回しを始めるのでした。
私が「え、はい?」と聞き返すと、それを肯定と受け取ったのか「はい! じゃ、セイハク、決定」と、勢い良く受領スタンプを押し、それでおしまいとなりました。
セイハク、セイハク……帰りの車の中でつぶやいていると、突然それが『精神薄弱者』だとわかり涙があふれました。
そういうわけで、介護者である母が“セイハク”のため、祖母はそれから7ヵ月後に特養老人ホームへ入所できたのです。今からは想像もできないような随分と乱暴な時代だったと思います。
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