2度目の介護申請。-在宅介護実録 沈んだ太陽 第五回
介護・福祉
記事公開日:2016/05/24、 最終更新日:2019/01/04
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「死にたい」「助けてください!」
こんにちは、ミチルです。
今回は、いよいよ手に負えなくなってきたポキさんの、介護申請をしてから認定がおりるまでのストーリーです。
2010年の11月頃、それまで自宅でなんとか他人の手を借りずに姉と二人三脚でポキさんの面倒を見ていたのですが、限界が近づいてきました。
ポキさんの理不尽さに振り回されっぱなしの私と姉はケンカが絶えなくなり、特に姉は持病の高血圧が悪化して、抑うつ状態から「死にたい」と口にするようになっていました。
「どうにかしなければ」と焦った私は、役所から来た広報を見て「母の介護が大変なのに誰も助けてくれない。助けてください!」と保健センターにSOSの電話をかけたのです。
介護認定員は、ダイニングにまで。
当時は、30年前の介護の経験や知識しか持ち合わせていませんでした。このため、2000年に施行された「介護保険法」(後、2012年改正)がどんなものなのかさっぱり見当がつきませんでした。
その後、たらい回しされた結果、行き着いたのが「地域包括センター」です。
いろいろなところを回された挙げ句だったので、電話に出た若い男性に「人をなんだと思ってるんだ、いい加減にしろ」とまで怒鳴っていました。電話に出たNさんは驚くふうもなく「わかりました、今すぐ伺います」とだけ言って、本当に10分足らずで駆けつけてくれたのでした。
Nさんに対して大声をあげバツが悪かったのですが、一刻もムダにしたくなかったので昼寝中のポキさんに会ってもらいました。寝起きとはいえ会話が成り立たないポキさんの様子を見たNさんは「介護申請したほうが良さそうですね。手続き取りますから」と一言。思いがけずスピーディーな展開となったのです。
それからしばらくすると、役所の福祉課から介護認定員がやってきました。ポキさんのこれまでの生活態度など細かく質問され、またダイニングまで入ってきて、テーブルの下の食べこぼし跡などもチェックしていきました。そして、1ヵ月ぐらいしてポキさんの介護認定が出ました。要介護1。
親のエゴや見栄で生まれる悲劇。
実は、私がまだ東京で働いていたとき、ポキさんの様子がヘンということで、一度介護申請をしたことがあったのでした。当時は介護申請の流れをよく理解していない状態で、どういう経緯か亡くなった祖母が入居していた特養ホームのTさんというスタッフに預けたのでした。
言われるがままに書類を書いて提出したわけですが、5ヵ月経ってもどこからも連絡がなく、不審に思った私はTさんに電話をするとシドロモドロ。すると、その電話を傍で聞いてたSさんという祖母の入居以来、私のことを25年以上知っているベテランのスタッフが何かを感じたらしく、すぐに電話を代わってくれたのです。
事情を話すと、折り返し電話をすると言って一旦電話を切って、再び電話がかかってきたときには、なんとTさんがデスクの中に隠していたことが判明したのでした。Tさんは忘れていたと言い張っているそうですが……。
Sさんの話では、Tさんの父親は厳格な警察官で、短大卒の娘が就職浪人になるのを恥じ、無理矢理コネ入社させたらしいのです。Tさん自身は介護の仕事に興味がなく、よって仕事の流れを覚える気持ちもないというのです。
介護の現場は壮絶ですが、なにより痛ましいのは親のエゴや見栄で子どもの意志に反した人生を押しつけることは、さらなる悲劇が生まれるだけなのではと感じます。
というわけで、最初の申請は無効になってしまいましたが、ようやく2度目で認定がおりました。
次回は、ケアマネさん遍歴です。
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