自ら老人ホーム入居を決意した理由 後編
介護・福祉
記事公開日:2017/09/25、 最終更新日:2018/12/28
娘達との関係性
Aさんには、娘さんが二人いました。
だいたい二週間に一回、二人のうちのどちらかがお見舞いにAさんの好物のお寿司をぶら下げてやってきます。個室でしたから、お話しながら一緒に食事をして1~2時間ほど一緒に過ごされるのが習慣でした。
「どちらもお嫁に行ってるからな、面倒見てくれなんて言われへん。だからここに入居するって自分で決めたんや」
娘さんが来た夜には、そう言ってAさんは少し寂しそうな顔をしていました。
しっかりしているって辛いことでもあるんだなって、その時に初めて強く思いました。
そのすぐ下の認知症対応階では、認知症の方たちが息子や娘にこんなところに連れてこられたと被害妄想で大騒ぎしている毎日なのに。
ご家族にとっては大変なことですし不可能なことなのでしょうが、Aさんがもしも認知症になっていれば気を遣うことなく「家に帰りたい」「娘と一緒に住みたい」「娘に面倒見てもらいたい」と泣きわめくことだってできただろうに。
年老いていって世話のかかってゆく自分を、理解しているからこそ何も言わず、老人ホームを終の棲家と選択する。
その決断をされた話をお聞きして、私は本当にAさんを人生の大先輩だと思いました。
「その代わり、娘とはずっと仲良くしてられる。たまにやから喧嘩もせんと、お互いええかっこもできるねん」
そう言って笑うAさんは、とってもチャーミングでした。
そんなAさんのために、娘さんがいらっしゃった時に私達スタッフは精いっぱいAさんにいかにお世話になっているかをお話しさせて頂きました。娘さんはいつも「難しいところがあるでしょう?そう言って頂けてなによりです」と、感謝の言葉を下さいました。
時々しか会えないけれど、優しい、あたたかい親子関係でした。
頼りになる人生の大先輩
Aさんは私達スタッフにとって、気難しいけれど頼りになる存在でした。
食堂での見守りの目が足りない時に、誰かに異変があれば教えてくれたこともありました。
若い女性スタッフが香水をつけすぎてきた時には「ええ匂いやなあ。けど、遊びに行くときにつけな勿体ないで」とさりげなく注意して下さったり、年の功という言葉を思い出させて下さる方でした。
私が結婚してからは、結婚生活の心得を色々と教えて下さるようになりました。
共働きだから家事を分担するのだと話すと「旦那さんが美味しくない料理作っても、『嬉しい』『ありがとう』しか言うたらあかんねんで?」と笑って仰るのです。
その話をしながら夫と食べる夕食は、手放しで美味しいとは言えなくても笑い合えるものになりました。
戦争中の苦労話、お嫁に行ってお舅さんの看病に明け暮れた話、子育ての苦労話。
どの話もユーモアたっぷりに話して下さって、本当に尊敬する人生の大先輩でした。
そんなAさんも少しずつ、少しずつ、頑固さ気難しさを増していきました。
できないことが一つまた一つと増えて、自尊心が高い分だけスタッフを困らせるようにもなりました。
でも、元気でしっかりされていたころのAさんを知っているからこそ、どのスタッフも一生懸命関わることができました。Aさんのこだわりを理解していたから、どの介助を丁寧にするべきなのかAさんを知らない新しいスタッフにも伝えて行くことができました。
最後は体調を崩して入院され、そのまま戻ってこられることはなかったけれど、Aさんは私や同期のスタッフにたくさんのことを教えて下さいました。
人生の最後に過ごす場所を自分で決める
しっかりしている内に、最後まで過ごす住まいを自分で決める。家族と優しく笑いあえる関係を続け、施設スタッフと絆を結ぶ。
衰えていく日々の中、思うように話せなくなっても私達スタッフはAさんの思いを汲み取ることができるようになっていました。
美しい老後の、教科書のような方でした。
Aさんの生き方は、これからの高齢者の穏やかな老後の過ごし方の選択の一つではないかと思います。
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