地雷を踏んだ日。-在宅介護実録 沈んだ太陽 第八回
介護・福祉
記事公開日:2016/06/15、 最終更新日:2019/01/04
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非正常な親子関係。
こんにちは、ミチルです。
ポキさんとの関わりの中で、分岐点となったある出来事について、今回と次回に分けてお話します。
これまでにも何度かお伝えしていますが、ポキさんと私は血のつながりのある母と娘ではありますが、別の言い方をすれば、“ヘタに血だけつながっている”存在というほうが妥当な表現かもしれません。
私が思春期を過ぎるまで、特殊な同居状態にあったため、正常な親子関係が構築できずに時が流れてしまったという感じです。
そんな薄いご縁なので、再び一緒に住み始めても、うまくいきません。四半世紀近くも別々に住んでいたのですからなおさらです。
介護が始まって間もないころは、そんな風にモヤモヤと毎日を過ごしていたせいか、日常的に一触即発という場面がありました。お互いが地雷を踏まないように、息を殺して一つ屋根の下で暮らしていたのです。
彼女と私の間にある壁。
事件が起こったのは、そんな危うい閉塞感に満ちた梅雨の時期でした。
その日はポキさんの、月に一度の内科受診日でした。
当時はポキさんを車に乗せることが嫌でたまりませんでした。
彼女は病院へ行った後、スーパーへ立ち寄ることを楽しみにしていました。
なにしろ、車がなければどこにも行けない僻地に住んでいるため、「この人」(と、私のことをポキさんは呼びます)が、車を運転してスーパーや「しまむら」に連れて行ってくれるのが嬉しかったのでしょう。私にしてみれば病院嫌いのポキさんを連れ出すための、いわば”エサ”だったのですが。
ポキさんはスーパーで買った菓子パンやいなり寿司、和菓子を抱えてリアシートに乗り込み、ボロボロこぼしながら食べるわけです。
食べ物のシミは掃除が大変です。彼女の傍若無人ぶりには、ついつい私まで車の運転まで荒くなってしまい、ヒヤリとしたことが何度かありました。
彼女の方でも私との壁を感じているらしく、けして助手席に乗ったことはありません。いつも後部座席です。
たった一度だけ、目を樹の枝で刺してしまったときだけは血だらけで助手席に乗りましたが、私も隣に座っている彼女に、どう声をかければいいのかわからなかったため、眼科につくまで一言も喋らなかったことがありました。
そういうわけなので、その日も内科受診後は、ポキさんの行きたいお店へ連れていく約束をしていました。
ですが、クリニックの待合室で順番を待っていると急用の電話が入り、どうしても10分ほどその場を離れなければならなくなったのでした。
ポキさんが消えた!
「まだ15分くらいはかかるから、ここで待っててもらえますか。外には出ないでくださいね」と、ポキさんにぎこちなく頼んだのでした。そのときのポキさんは聞こえないふりでもするかのようにそっぽを向いていたので、やれやれと思いましたが、そのまま彼女を残して外出したのでした。
その後、思ったよりも時間がかかってしまい、戻ってみると、いません。ポキさんがこつ然と消えていたのです。受付が言うには、お母さんはご自分で診察室に入り、会計後、出て行ったと。
ポキさんが何を考えているのか、まったく見当がつきませんでした。
目の前に車があるのに、どこに行ってしまったというのでしょう。30分近く駆けずり回り、その後車で市街地を流して回ったところ、いました。
駅前の車止めのポールにちょこんと腰掛けて大声で何かを叫んでいたのです。私は安堵から思わず「何してるの!」と怒鳴っていました。見物人もいますが、もうお構いなしです。
ポキさんを早く車に乗るよう促すのですが、あまり親しくもない人間に怒られたことが悔しいらしく「じゃぁ、乗んねー」と、後部座席に乗るのを止め、くるりと向きを変えました。
私はバカバカしくなって車を発進させたのですが、その瞬間
ギャーーーーー!!!
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